松方コレクション
先月、主人と松方コレクションを見に行った。色々な方面のお宝揃いの上野公園の中でも西洋美術館は、前庭にはロダンの彫刻、収蔵品は絶品揃い。画学生だった私には憧れの場所の一つだった。その収蔵品の大元が松方コレクションなのだが、学生時代にはこれがどれほどの物か正直理解していなかった。常設展示していたので、それほどの関心を持っていなかったというべきかもしれない。
その頃の私は審美眼があるわけでもなく、ただ絵を描くことが好きで、美しい絵を憧れだけで見て歩いていた。西洋美術館はそんな私の学生時代の思い出の場所でもある。
松方コレクションがどれほど貴重なのかは最近のテレビの解説で知った。
最初はモネの失われたと思われていた大作がかなりのダメージを受けた姿で発見され、現代の技術で再現しようとした試みがあるというニュースだった。近頃モネと聞くとウズウズしてくる私と芸術に関心が生まれつつある主人と見に行こうか、と言う話がまとまるのにさほど時間はかからなかった。
予定したのは折しも主人の誕生日の直後、誕生日イベントとして色々と詰め込みながら指折り数えてその日を待っていた。
コレクションを見に行くのは二日目にした。一日目には色々と野暮用があった。気がかりをなくして気持ちよく美食と芸術を楽しむことにした。
当日は残念なことに雨模様だった。上野公園は西洋美術館の他にも美術館があるし、動物園、博物館、東京文化会館、おまけに東京芸術大学もあって芸術文化の一大拠点で誰にでも楽しめる場所だ。しかも目的のコレクションは終了間近なので雨にもかかわらずとても混んでいた。
西洋美術館の中に入るのはかなり久しぶりだった。前庭は数ヶ月前に主人にロダンの作品を見てもらいにちょっと立ち寄った。その時も少し配置が換わったように感じたが、建物そのものも改装されていた。耐震処理がされ、中の配置がすっかり換わっていて、あれっ、と思った。
松方コレクションは松方幸次郎と言う人の夢の結晶だ。春のビュールレ展の時も思ったのだが、実業家がお金に糸目を付けず集めたコレクションの迫力はすごい。ビュールレ氏は自分のために集めていたが、松方氏は日本人に本当の芸術を見せる美術館を作るためにコレクションを作った。紆余曲折を経ていまの形になった訳だ。
いまの収蔵品でも相当にすごいのだが、戦争の暗い影がコレクションに様々な形で影響を及ぼした。あるものはフランス政府に没収され、あるものは倉庫で危うく朽ち果てるところだった。
それがモネの睡蓮の大作で、モネがなかなか手放さなかった一作を松方氏に譲った物だった。長らく行方不明になっていたが、ルーブル美術館の倉庫で発見された。しかし、半分近くが剥落するなど非常に痛んでいた。もし完品ならルーブル美術館ははたして手放しただろうか。
現代に生きていて幸せだな、と思ったのは最近のAI技術で失われた部分を再現したことだ。幸運なことに痛む前のモノクロ写真のネガが残されており、そこから再現が始められた。展覧会の開始直前まで再現作業は続けられたそうだ。完成したデータは実物大の映像として映写されていた。実物も修復されて展示されていた。剥離した部分と保護のために貼られたテープが痛々しかった。どうしてこうなったのか説明があった。悲しかった。戦争のせい、と一言で終わらせるつもりはないが、時の流れと運命の無情を感じた。
再現されたデータは素晴らしいものだった。本当にモネの色かな、と思わなくもなかったが、環境で違って見える場合もある。これはデータで、私の携帯のカメラと主人のスマホのカメラの映像ですらもう色が違っている。もっとも人の目を通した段階で、それぞれの見ている色は違っているのだから、良いのか。とはいえ、やはりモネはモネ、安定して光が煌めいている。もっとたくさんのモネを見たい。
松方コレクションは素晴らしいコレクションだった。氏の国際感覚も芸術に対する意識も敬服する。そして、戦争という大きな間違いが、たくさんの価値のあるものを破壊したり、あるべきところから離したりしたことが悲しい。松方氏はコレクションが散逸したまま世を去った。夢だった美術館の建設も頓挫した。心残りだったと思う。氏の思う形とは違ったかもしれないが、形を変えて西洋美術館が完成した。睡蓮も発見され、データとはいえ再現された。少しずつ遺志は果たされているのかもしれない。この志が伝えられて芸術や平和への祈りになるといいと願う。
その頃の私は審美眼があるわけでもなく、ただ絵を描くことが好きで、美しい絵を憧れだけで見て歩いていた。西洋美術館はそんな私の学生時代の思い出の場所でもある。
松方コレクションがどれほど貴重なのかは最近のテレビの解説で知った。
最初はモネの失われたと思われていた大作がかなりのダメージを受けた姿で発見され、現代の技術で再現しようとした試みがあるというニュースだった。近頃モネと聞くとウズウズしてくる私と芸術に関心が生まれつつある主人と見に行こうか、と言う話がまとまるのにさほど時間はかからなかった。
予定したのは折しも主人の誕生日の直後、誕生日イベントとして色々と詰め込みながら指折り数えてその日を待っていた。
コレクションを見に行くのは二日目にした。一日目には色々と野暮用があった。気がかりをなくして気持ちよく美食と芸術を楽しむことにした。
当日は残念なことに雨模様だった。上野公園は西洋美術館の他にも美術館があるし、動物園、博物館、東京文化会館、おまけに東京芸術大学もあって芸術文化の一大拠点で誰にでも楽しめる場所だ。しかも目的のコレクションは終了間近なので雨にもかかわらずとても混んでいた。
西洋美術館の中に入るのはかなり久しぶりだった。前庭は数ヶ月前に主人にロダンの作品を見てもらいにちょっと立ち寄った。その時も少し配置が換わったように感じたが、建物そのものも改装されていた。耐震処理がされ、中の配置がすっかり換わっていて、あれっ、と思った。
松方コレクションは松方幸次郎と言う人の夢の結晶だ。春のビュールレ展の時も思ったのだが、実業家がお金に糸目を付けず集めたコレクションの迫力はすごい。ビュールレ氏は自分のために集めていたが、松方氏は日本人に本当の芸術を見せる美術館を作るためにコレクションを作った。紆余曲折を経ていまの形になった訳だ。
いまの収蔵品でも相当にすごいのだが、戦争の暗い影がコレクションに様々な形で影響を及ぼした。あるものはフランス政府に没収され、あるものは倉庫で危うく朽ち果てるところだった。
それがモネの睡蓮の大作で、モネがなかなか手放さなかった一作を松方氏に譲った物だった。長らく行方不明になっていたが、ルーブル美術館の倉庫で発見された。しかし、半分近くが剥落するなど非常に痛んでいた。もし完品ならルーブル美術館ははたして手放しただろうか。
現代に生きていて幸せだな、と思ったのは最近のAI技術で失われた部分を再現したことだ。幸運なことに痛む前のモノクロ写真のネガが残されており、そこから再現が始められた。展覧会の開始直前まで再現作業は続けられたそうだ。完成したデータは実物大の映像として映写されていた。実物も修復されて展示されていた。剥離した部分と保護のために貼られたテープが痛々しかった。どうしてこうなったのか説明があった。悲しかった。戦争のせい、と一言で終わらせるつもりはないが、時の流れと運命の無情を感じた。
再現されたデータは素晴らしいものだった。本当にモネの色かな、と思わなくもなかったが、環境で違って見える場合もある。これはデータで、私の携帯のカメラと主人のスマホのカメラの映像ですらもう色が違っている。もっとも人の目を通した段階で、それぞれの見ている色は違っているのだから、良いのか。とはいえ、やはりモネはモネ、安定して光が煌めいている。もっとたくさんのモネを見たい。
松方コレクションは素晴らしいコレクションだった。氏の国際感覚も芸術に対する意識も敬服する。そして、戦争という大きな間違いが、たくさんの価値のあるものを破壊したり、あるべきところから離したりしたことが悲しい。松方氏はコレクションが散逸したまま世を去った。夢だった美術館の建設も頓挫した。心残りだったと思う。氏の思う形とは違ったかもしれないが、形を変えて西洋美術館が完成した。睡蓮も発見され、データとはいえ再現された。少しずつ遺志は果たされているのかもしれない。この志が伝えられて芸術や平和への祈りになるといいと願う。