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zoom RSS 夏の終わり

<<   作成日時 : 2018/08/10 17:18   >>

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 夏休みは九月に取るのが良い。若い頃はそう思っていた。動きたくなくなるほど暑くもなく、旅行に出るにもトップシーズンを外れた時期の料金はまだ二十代のお財布事情にはありがたい価格になっていた。良いことずくめと言うわけだ。そんなわけで数年九月は私の旅行シーズンとなっていた。
 ある年は日本海を目指し、能登半島で卒業制作のモチーフとなる風景を探した。ついでに金沢を散策した。東尋坊や飛騨山をふらついた年もあった。
 能登半島を目指したのは描こうと思っていたモチーフが冬の日本海の荒波だったからだ。歩ける時期にロケハンをして場所を決め、冬の厳寒期に歩き回るという危険な行動を出来るだけ減らそうとした。
 太平洋側で育った私には当時、日本海側に一種独特な憧れがあった。それが現在に微妙に関わったかもしれないのはご縁と言うものか。 
 何度か日本海を訪ねてみて、その海の青さが気に入った。太平洋とはまた別の冷たい色だ。砂浜は粒が細かく、車が走られる砂浜もあった。海岸線を何ヶ所か見て回り、とある場所に行きついた。宿泊先に予定していた国民宿舎の近くだったと思う。時間は午後遅く。水は透き通り、誰もいない。のどかというか、時間が止まったような夏の終わりの風景を写真に収めた。
 その穏やかさは妙に私の気持ちを揺さぶった。若さも手伝って激しい方面に目が向いていた私にはその風景は清涼剤のように心にしみたやさしさだった。この風景を絵にしたい。そう思った。後日、その写真は卒業製作の一枚に仕上がった。当初の計画のザバンザバンの荒波の絵よりも、出会いの感動を忘れずに絵にしたものの方が誰が見ても良いものに仕上がったようだ。卒業制作の批評会でも連作の中で一番評価が高かった。計算された思いよりも一瞬の感性の方が共感を呼ぶと言うことか。
 出会いの感動を絵にするといいものが出来る、というのはちょっとした発見だった。絵を見る見方も変わったかもしれない。絵を見て何を感動してこの絵を描いたのか感じる、というのはポイントの一つだ。
 夏の終わりは過ごしやすい時期だ。暑さは落ち着いてきて穏やかだ。人間、暑さを乗り越えた後は少々けだるい気分になる。そんなときにひなびた風景は妙に気分とシンクロする。砂浜には夏の落ち着かないコントラストの激しさはなく、かといって秋の実りの季節感もない。そこはただ、何かが終わった静けさだけがある。静寂をテーマに書いたわけではないのだが、結果的にそう言う絵に仕上がった。絵の中には人はおらず、雲と打ち上げられた海藻と少しの植物、木に覆われた岬と白い建物がある。当時は透き通った水の美しさを描きたいように思ったはずなのだが、今見直すと違うものが見える。当時の私はそこまで考えていなかったと思うのだが、絵の中には無意識も描き込まれるらしい。
 いっておくけれども、決して上手でも価値を感じる絵でもない。ただ、思いは伝わるように描けたと思う。
 その絵は今も自宅の玄関に飾られている。穏やかな風景は生活も穏やかに彩ってくれているようだ。

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